2022年7月24日の日記

過去の話から入る。
20代前半のころ、昭和くさい模様の古着が好きだった。
かつて友達と共にちょくちょく訪れた古着店が四日市市内にあったが、そのお店が閉店してのち、古着との縁はなくなっていった。
古着店ならほかに、すてきな古着店もチェーンの古着店もあったはずなのに、どういうわけだか自然に何度も足が向く店はあの店だった。

私達はあの店を「おしゃれ店」と呼んでいた。呼び方に意味があったわけではない。実際の店舗の佇まいは、おしゃれとは言い難かった。見掛けからは古着店であるということ以外のアピールを感じなかった。ひび割れたアスファルトの駐車場は必ず空いていた。店員さんはレジ横に着席しており、こちらから質問しない限り自らやってくることはなかった。品数は豊富だった。買いたくなるものが必ずあった。価格はリーズナブルだった。商品は古くても綺麗だった。お気に入りの店だった。
しかし店舗の正式な名前は、最初に訪れた日から数年間、最後までわからなかった。知ろうともしなかった。もしかしたら目にしていたのかもしれないけれど記憶に残らなかった。そういう状態で訪れることそのものが楽しかった。
当時の私達は、お気に入りの場所に対してどこか薄情と言えるような愛情の掛け方をする傾向があったように思う(恐らく今も)。
その後店は閉店し、私達の生活形態も変わり、「おしゃれ店」は記憶になった。

きのうの話に移る。
買い出しの途中で古着店を見かけ、吸い込まれるように入店した。
正直に表現すれば、おしゃれとかダサいとか、そういう一言で言い表せないような佇まいの店だった。伝わるとうれしいのだけれど、例えば写真に撮ってフィルター加工すると却ってインスタ映えしなさそうな店だ(失礼な)。私はだから吸い込まれたのだと思う。
店頭に並んだアメカジTシャツによって、記憶の「おしゃれ店」より明るい店のように感じたけれども、どことなく「おしゃれ店」と同じ匂いがした。だから久しぶりに昭和くさい模様の服を買って出て来てしまった。
帰り際、振り返って店舗の名前を確認したけれども記憶に残らなかった。きっとまた足が向くに違いない。

今日、きのう購入した古着のボタンを念の為すべて付け直した。たいへん面倒くさかったけれども満足感でいっぱいだ。
今日の日記と呼べる部分はこれだけである。