絵と文31「庭のぱん」2018-2021年

相変わらずそこはかとなく不安が背後について回る毎日ですが、引き続き、いっそ不安もエネルギーにして制作しています。そのサンプルの一つとして、久しぶりに過去の作品に短いストーリーを付けました。お時間ございましたら目を通していって下さいね。


絵と文31「庭のぱん」

私の庭にも一本のぱんの木が立っている。

ぱんの木のぱんは、やはりパンだ。
ご覧の通り、きゃしゃな幹にふっくらとしたパンを生やして立っている。

隣人や友人は、晴天の続いた月に一度は自分の庭のぱんの木にぱんの木切り包丁を入れていると言う。
彼らは木の端を切り出し、それを清潔な布でぬぐい、軽く火で炙る。時にはそこにジャムやバターやチーズをのせる。食べるのだ。パンだから。
その味は、パン屋の作るパンにはとてもかなわない。しかしなぜだか癖になると言ってすすんで採って食べる者は多い。何せぱんの木は、多少を切り落とされたくらいであれば翌月にはまたパンを生やす。すると人はそれをつい採る。採ればつい食べる。
ぱんの木のぱんは、やはり植物だ。

私は、ぱんの木のぱんを食べない。
パンが食べたくなったら、パンを食べたい。
私は、ぱんの木の端が欠けている様をあまり好まない。
剪定もしない。
どんな夜も電飾を巻かない。
私はただ、庭のぱんの木には、木の好きにぱんを伸ばして、いつでもまるっこくふっくらと、していてほしい。
私のぱんの木は、やはり庭木だ。
それも、お気に入りの庭木だ。

この地方で昔からよく耳にすることわざがありますので最後にご紹介します。

“ よそのぱんの木はよそのパンか木 ”


随分そのまんまなことわざですよね。

原画 2018年制作
11×25cm
木版,アクリル絵具,墨汁